「看護師として何ができるのか」悩んだことが転機に
「一人でも生きていけるように、手に職を持った方がいい」。親からそう言われたことが、看護師を目指すきっかけだったといいます。資格を取って働く仕事として思い浮かんだのが看護師でした。
2009年から2022年まで急性期病院に勤務し、2016年に緩和ケア認定看護師の資格を取得。現在はこれまで培った緩和ケアの知識や経験を生かしながら、訪問看護ステーションを経営しています。
認定看護師を意識するようになったのは、臨床の現場で「自分にできることの限界」を感じたことが始まりでした。特に標準治療を終えた患者を前にしたとき、どのように支援すればよいのか分からず、自信を失うこともあったといいます。
そんなときに参加したのが「緩和ケアエキスパートナース研修」でした。そこで出会ったのは、治癒や根治を目的としない患者に対しても、看護師としてできる役割があるという考え方でした。
命を救うことだけではなく、心を救うことができる」
その言葉は大きな転機となり、緩和ケアの道へ進むことを決めました。
経験の少なさに悩みながら専門性を磨く
認定看護師教育課程では最年少の受講生でした。周囲には経験豊富な看護師が多く、自分の経験不足を痛感し、劣等感を抱く場面も少なくありませんでした。
さらに難しかったのは、学ぶべき範囲の広さでした。明確な教科書があるわけではなく、何をどこまで学べばよいのか分からないまま、手探りで学習を続ける日々が続きます。
それでも学びを重ね、2016年に緩和ケア認定看護師の資格を取得。専門性を持てたことへの誇りと同時に、患者や家族、同僚からの期待に応える責任も強く感じるようになりました。
当初は自ら患者に関わる実践にやりがいを感じていましたが、数年が経つと一人で関われる患者数の限界にも気づきます。そこから意識は「自分が行う看護」から「人を育てる看護」へと広がっていきました。
「頑張って」が「ありがとう」に変わった瞬間
緩和ケアの現場で、忘れられない場面があります。看取りが近い患者を前に、ご家族が「死なないで」「頑張って」と涙ながらに叫んでいました。どう関わればよいか悩んでいた後輩看護師から相談を受け、介入に入ることになりました。
まず伝えたのは、「最期まで耳は聞こえている」という事実でした。そして、大切な人に何を伝えたいのかを一緒に考えていきます。やがて、ご家族の言葉は変わっていきました。
その場にいた後輩看護師は、この関わりを間近で見ていました。そして数年後、その後輩が同じように新人看護師を指導している姿を目にします。
専門的な知識や経験は、こうして次の世代へと受け継がれていく。その実感が、後進育成への思いをより強くしました。
一人の看護師が直接関われる患者数には限りがあります。しかし、学びや経験を伝えることで、その先にいる多くの患者や家族へ看護を届けることができる。その循環こそが、緩和ケアの大きな意味だと感じています。
認定看護師になってからの方が大変
認定看護師を目指して良かったことの一つは、同じ志を持つ仲間と出会えたことでした。患者に真摯に向き合う看護師たちの存在は、大きな支えになったといいます。
一方で、これから目指す人に対しては、あえてこう伝えています。
これはかつて先輩からかけられた言葉でもあります。認定看護師は取得がゴールではなく、むしろその後の方が大変です。組織からの役割や業務の広がりの中で、自分のやりたい看護との間に葛藤が生まれることも少なくありません。
私は実際に、自分の理想とする看護を追求するために、起業という道を選びました。それでも、「やりたい看護があるなら、迷わず進んでほしい」という思いは変わりません。
大切なのは資格ではなく「どんな看護をしたいか」
今後は後進の育成に力を入れ、「こんな認定看護師になりたい」と思われる存在を目指しています。ただし、認定看護師だけがキャリアではないとも考えています。
評価されるのは資格そのものではなく、その人の姿勢や人間性だと感じる場面も多くあります。
専門性を深める道もあれば、幅広く関わるジェネラリストとしての道もある。どちらも等しく価値のあるキャリアです。大切なのは資格ではなく、「どんな看護をしたいのか」という問いに向き合うこと。その先に必要な学びがあり、選択肢の一つとして認定看護師という道があります。